2006年 07月 15日
心が痛みます。 |

心痛む事件が多いです。特に、滋賀県で起こった2歳の赤ちゃんを虐待死させてしまった事件は、衝撃を受け、涙が出ました。自分の息子は、明日で2歳を迎えます。父親として感じたこと、思うことを書いています。
2歳とはいえ、しつけは親の務めだと考えています。そのときに、いつもこの話を心に思います。
以下は、三輪純真先生御講演 「いのちの呼応による喜びの発見」86Pからの抜粋です。
鈴木道太先生のご本の中で、高田市(今の上越市)の戸羽さんというPTAの会長さんの次のようなお話が紹介されています。
『私の長男は敏雄といって、いま高校の三年生ですが、その子がたしか小学生の三年生か四年生のときです。
一月末の粉雪の散らつく寒い夕方でしたが、私が外出先から帰ってきたら、仏壇の前に家内が五、六百円ほどの小銭を上げておいたうちから、二百円ほどとって子どもが買喰いをしたというのです。ちょうど出先で、おもしろくないことがあって、少しむしゃくしゃした気持ちでいたとき、家内から「お父さん、敏雄がね」とその話を聞かされたものですから、私も思わずカッとなって「敏雄、来い」といって、いきなり敏雄の手をひっぱって、「いいか、お前のやったことがどんなに悪い事なのか、お父さんが教えてやるからな。いいか、いまからお前に水を五杯かける」と言ってしまいました。
なにしろ、零度に近い寒いところですから、家内がおどろいて「お父さん、敏雄が死んでしまう」と泣いてとめたのですが、私は聞きません。無理やり敏雄の服をぬがせて、パンツ一枚にしてしまいました。
「しかしな、お前がそういう悪いことをしたのは、お前だけが悪いわけではない。そういう悪いことをさせたお父さんにも責任がある。だから、お父さんも水を五杯かぶる」と言って、私も服をぬいでパンツ一枚になって、子どもを抱いて庭へ出ました。
池の水を汲んで、まず私がバケツで水を五杯かぶりましたが、まるで心臓がとまるような冷たさです。
ところが、目の前で私が「ザッ、ザァッ」と水をかぶっているので、その冷たい水しぶきが子どもの体にはねかえるのですが、目から涙をたらたら流しながら、そのとばっちりをさけようともせず、ぶるぶるふるえて立っている子どもを見たとき、このときほど、この息子は俺の血をわけた大事な息子なんだと、実感を持って胸に迫ったことはありませんでした。
平生トランプをしたり、キャッチボールをして遊んでいるときも、自分の息子だと考えていたことに変わりはありませんが、私のバケツの水しぶきが自分の体にはねかえってくるのに、さけようとも逃げようともせず、たらたら涙を流して、じっと私を見つめている息子の顔を見たときほど、これは俺に血を分けた大事な息子なんだと、心の底から実感として受けとめたことはありません。
それから心を鬼にして、息子に三杯水をかけたら、息子はすくんでしまいました。あとの二杯は半分くらいにして、数だけ約束どおり五杯かぶせると、私は息子を横だきにして風呂場へ駆け込みました。
そして、乾いたタオルでごしごし息子の体をふいてやったのですが、そしたら息子がタオルのはしで私の腹をふいているのです。私は思わず息子を抱いて、男泣きに泣いてしまいました。それから敏雄は、間違っても、自分のカネでないものには投げておいても手を触れない子どもになりました』
同書の58Pより抜粋
教育とは、親と教師と子供が、それぞれ本来持っている素晴らしい命に火をつけあうことなんです。教育とは共に育つことです。子供が素晴らしく伸びると同時に、お母さん(お父さん)がお母さん(お父さん)の道を一年生から一緒になって歩んでいく、これが教育の姿です。教育とは難しいことではないのです。一緒に同じ方向を向いて歩くのです。
子供の心に、また体に傷をつけたりせずとも、教育は出来ると思います。
一緒に同じ方向に歩んで行きましょう。親が子を傷つけたり、子が親を傷つけたり、心が痛むような事件が世の中から無くなる事と、不幸にも亡くなられた人のご冥福を祈ります。
おかげさまで息子は2歳を迎えます。明日は心から祝福したいと思います。
最後までお付き合い頂いた方、ありがとうございました。
by jppapin2001
| 2006-07-15 07:19
| 雑感


