海鮮中華 呑(広陵町・中華料理・燃麺) |
天理・智弁・郡山が44年ぶりに敗退
奈良桜井高の「人間力」野球に注目
NUMBERの記事
papinはとても驚きました。人間力・・・ぜひご一読を。papinの感想は、最後に書きます。
とてもいい記事をリツィートしてくれた伝次郎さんに感謝。
さてpapinの夏の風物詩2トップ、
まずはがんこラーメン十八代目の冷辛麺。冷やし中華にあらず、唯一無二の冷辛麺。
と、今日ご紹介するこちらです。
papin的夏の風物詩をぜひぜひ♪
海鮮中華 呑
奈良県広陵町みささぎ台1-35
0745-55-3319
11:30-13:30、17:00-20:30
月曜・第一火曜休み
P店前に3台
店から2軒西側に7台
食いしんぼ。
甲子園の出場するということは、良くも悪くも全国的な注目を集める。高校にとっては、良い宣伝・知名度アップとなる。知名度のアップは、生徒が集めやすくなり、生徒がたくさんくれば、それだけ良い生徒を選ぶことができ、またその事が良い生徒を呼ぶ・人気高となる好循環を呼ぶ。全部が全部そうではないと思うが、そのために学校側は部活に力を入れ、学校の宣伝を試みる事もある。甲子園はその絶好の舞台といえる。野球で言うと、越境入学いわゆる野球留学という言葉もあるとおり、地方の強豪校へ地元を離れ行く生徒も多い。中学で目をつけられスカウトされる。とある地方高校のレギュラーは全て県外出身というケースも少なくない。特に大阪や近畿出身が多いようで、大阪の生徒はよく鍛えられているとも聞く。学校のとしては宣伝になる、生徒にとっては広く知られゆくゆくは大学やプロ入りの道筋がつけられる。お互いのメリットを求め、両者協力し進めていく。このことに関しては、“やり過ぎ”、“生徒の酷使”、“地元の生徒がいない”などの批判がある。NHKと朝日放送が全試合を全国放送するのだ、嫌でも注目が集まり、いろいろな思惑が駆け巡る。
Papinが以前から疑問に思うことがあった。それは、「野球さえできればいい」という風潮だ。小学校から硬球に慣れるためリトルリーグ、中学校でも公式野球部で毎日練習・毎週末は試合遠征を繰り返して来た選手は、当然甲子園を目指す。中学で目立てば、当然甲子園強豪校から声がかかり、強豪校に入ることは、甲子園への切符を手にするための大変重要な“ツール”と言える。強豪校に入学し、レギュラーとなり地方大会を勝ち抜き甲子園に出場するために選抜された優秀な生徒が毎日野球に打ち込む。元々上手なのにさらに練習で鍛えられ、ますます上達することだろう。その一方で、彼らは学生・高校生なのだ。必ず高校の授業があるはずなのだが、授業はチンプンカンプンな生徒も多いと聞く。もっと言うと、スポーツ課・スポーツクラスなど、そういう選手だけを集めたクラスを作り、のんびりした授業カリキュラムを組み、より一層スポーツに打ち込める環境作りをしている。学校は宣伝、生徒は甲子園、ここでも両者の思惑が一致している。結果、「野球さえできればいい」「あいつは勉強はダメでも、スポーツ課だから」といういわゆる“野球バカ・スポーツバカ”が出来上がる。
そこがpapinがとても疑問に思っていたところだ。
「野球バカは、将来、幸せになれるのか?」
1つのことに打ち込み極めるのは素晴らしい事です。しかし、それだけに打ち込む事が、それを極める正しい道なのかどうか。高校野球でいえば、勉学や友人との交流や体験などを除いて、野球ばかりしているのが、結局、生徒や学校にとって幸福な事なのか?
これは、野球を「勉強」に置き換えてもらってもいいかもしれない。
野球だけできればいいという考え方は、野球が上手い人がえらい・野球が下手な人はダメという考え方になり、上手が上で、下手は下に見てバカにするようになる。勉強もそうだろう、偏差値の高い人間が偉くて、偏差値の低い人間を見下すようになってしまうこと・・・それはとても狭いモノの見方だとpapinは思います。野球が下手でも、見所のある人間はいるし、勉強が出来なくても、信用の置ける人はたくさんいる。下手やバカを見下すような生徒に育ててしまうと、生徒本人も学校もとても不幸だと思う。そういう狭いモノの見方をする人は、変にプライドが高く社会人で挫折したり、仕事ができない事が多いように思う。逆に、野球や勉強がダメだったやつが、社会に出て大成したり、大成功することは無くても、普通に暮らしている事もある。Papinは、以前から、この野球バカ・スポーツバカ・勉強バカを作ってしまう風潮に疑問を持っていた。
今回のNUMBERの記事を読むと、長年のpapinの疑問に明確な回答を得られた気がした。
>今は『勝つために』ではなく、
今と先々の人生で自分の力で幸せになっていくためには、
>どういう心構えで野球に取り組めばいいのか
長々と書いたpapinの疑問を要約するとこの言葉に集約されます。
今、甲子園に出場しても、今、甲子園で勝っても、将来幸せになれるかどうか?
>甲子園にこだわり過ぎて本質を見失っていないか?
NUMBERが指摘するこの言葉に象徴される。
甲子園に出場することにこだわり過ぎて、勝てればいい、野球が上手ければそれでいいという指導が教育現場で横行していないだろうか?その事で生徒が幸せになるならそれでいい。しかし、学校だけが名声を得て、生徒はその後、ボロボロにされたり、人間形成ができずに不幸になっている事は無いだろうか?受験なら合格することだけを目標にたくさんのカリキュラムと宿題を浴びせられ(自分から能動的に学び取ることを一切せず)ただひたすら勉強勉強の受験マシーンとなる。その甲斐あって目標の有名大学に入学できたのに、いざ大学に入ったらやることがわからなくて宙ぶらりんになり、自分を見失って学校に行かなくなり留年・中退となってしまう生徒はいないだろうか?(いわゆる燃え尽き症候群)エリートといえば聞こえはいいが、野球マシーン・受験マシーンの成れの果てを高校や文部科学省は追及しているだろうか?有名大学進学数だけを競い合い、生徒に受験勉強を叩き込み、その数字で競い合う高校。その受験マシーンとなった生徒は、その後、幸せなのか?もっと言うと、そういう「やらされる」教育環境って生徒にどういう影響を与えるのか、もっと文部科学省は、科学して欲しい。特許数では米国が圧倒的。革新的な発想を日本人がするには?野球の大リーグ・サッカーの欧州リーグで日本人がもっと大活躍できるようにするには?papinは、自発的学習(職人の世界で言うなら技を盗む)と受動的学習(やらされる)の違いじゃないかと感じる。前者は伸びしろがたくさんあり、後者は伸びしろがが全く無いのでは?
今回の桜井高校の優勝は、そういう勝利至上主義の偏重的高校野球・教育現場に一石を投じる大変意義深い勝利だったとNUMBERを読んで感じた。森島監督の言葉をもう一度。
>今は『勝つために』ではなく、
今と先々の人生で自分の力で幸せになっていくためには、
>どういう心構えで野球に取り組めばいいのか
未来ある子供の教育に携わる方には、この言葉を噛み締めて頂きたい。
その指導で将来、生徒は幸せになれますか?
生徒自身もよく考えよう。君の人生は、君が切り拓く必要がある。
桜井高校優勝おめでとうございます。
素晴らしい指導者と素晴らしい生徒を尊敬します。
Papinの長年の疑問を氷解してくれたと共に、高校野球が教育活動の一環であるということを思い起こさせてくれたNUMBERの記事とそれを紹介してくれた荒木伝次郎さんに心から感謝します。
一気に書きましたので、乱文乱筆・駄文ご容赦。誤字脱字など随時ご指摘頂けると幸いです。